早すぎた悲劇、天誅組と中山忠光。その供養に仕様の尺八か!
中山 忠光 卿(なかやま ただみつ)弘化2年(1845)生→文久3年(1863)
明治天皇の叔父にあたる。
天誅組大和に挙兵。尊王討幕の決意に燃えたる志士たち
土佐 吉村寅太郎、三河 松本奎堂、岡山 藤本鉄石は
七生賊滅天後照覧 中山侍従罷通る の旗の下、
代官を討取り、五条に新政府を作ったが、
しがし朝議は一変した。
天誅組の首領にかつがれた中山忠光
吉村寅太郎が書いたと伝えられる天誅組の軍旗
思ひきや 野田の案山子の 梓弓 引きも放たで 朽ちはつるとは
弱冠で暗殺されたその供養に使用の尺八か!! 吹き手は平野国臣か!!
近衛 忠煕(このえ ただひろ)文化5年7月14日生 公卿
篤姫は忠煕の養女となり第十二代将軍徳川家定の正室。公武合体派として活動。
忠煕に西郷隆盛が謁見。安政の大獄から逃れ、西郷と清水寺の僧月照、福岡藩の
平野国臣に護衛山伏に変装し関所を突破、鹿児島錦江湾へ入水、西郷のみ一命を
取り留る。同舟していた平野国臣に救出。
国臣愛用の尺八は高杉晋作発議の招魂社 下関 櫻山神社に保存。
大君の ためにはなにか 惜しからむ 薩摩の瀬戸に 身は沈むとも 月照
我が胸の 燃ゆる思いに 比ぶれば 煙は薄し 桜島山 国臣
中山 忠能(なかやま ただやす)文化6年11月11日生 公卿 権大納言
明治天皇外祖父。
次女慶子(よしこ)孝明天皇、宮人であり明治天皇、生母。
岩倉具視とともに王政復古の中心人物。
孝明天皇、大和行幸の先駆けとして天誅組に奉じられた中山忠光は忠能の子。
三条 実愛(さんじょう さねなる)文政3年10月30日生 公卿
権大納言、維新後に内国事務総督となり刑部卿となる。
維新の立役者、岩倉具視と倒幕と明治新政府に貢献した公家正親町、三条実愛。
池田 泰真(いけだ たいしん)文政8年7月5日生
明治帝室技芸員(人間国宝)
帝室技芸員宮内省の命により製作を行う。
明治天皇から、あまり豪華すぎて小言を賜ることもあった。京都生蒔絵師。
荒木古童(あらき こどう)文政6年生 尺八家。
公家衆和歌入り高蒔絵尺八
※一管に尺八制作者 蒔絵師の名と和歌三首の作者名、筆跡の違いを高蒔絵で描写。
孝明天皇、公家朝廷の注文品か!!
あしたづの わたるるこえも まつかぜも
ちよのしらべを そえてふくらむ(ん)
【ただひろ】〜近衛 忠煕〜
さしのぼる おのえのつきに きこゆなり
くものいづこの さおしかのこえ
【ただやす】〜中山 忠能〜
あけすます かせのしらべに くれたけの
ふしおもしろき こえをきくかな
【さねなる】〜三条 実愛〜
あしたづ・・・・・・・・・鶴の事
棹鹿(さおしか)・・・・・神鹿(しんろく)、鹿の事
くれたけ・・・・・・・・・尺八の意
描金・・・・・・・・・・・蒔絵の事